2009年07月02日

理工科学総合研究センター

理工科学総合研究センター、高効率エネルギー変換研究センター、難処理人工物研究センター、環境量子リサイクル研究センターを統合して2004年に設置されたエコトピア科学研究機構を前身とし、2005年に設置された研究所である。これは学内措置による設置であったが、文部科学省科学技術・学術審議会学術分科会研究環境基盤部会の審議を経た2006年、文部科学大臣により中期目標の変更が提示され、正式に附置研究所と定められた。エコトピア(EcoTopia)とは、ecologyとutopiaの合成語で、環境に配慮した理想郷、環境調和型社会といったような意味である。材料技術、エネルギー技術、廃棄物処理技術、情報・通信技術などを研究している。理系研究科の教員に加えて、文系研究科の教員も参画しており、文理融合した研究が行われている。
学力向上!漢字王国
白い花の花言葉
北の国・北海道マップ
暮らしの知恵袋
ラファエロのタレントになる学校選び
ハンズの野球のツボ
マーメイドの地図探し
ゆかいな塾の先生
炎神でアニメソングメドレー追跡
懸賞の秘密ちゃんねる
健康一番玉手箱
Carタイムへ急げ
芸能界デビューのチャンス
ひだまりの湘南ビーチ
奥様ご用達ご当地グルメ
仕事探しはここからスタート
初心者の投資問題解決!
姉妹の温泉三昧
フラッシュのオーディション参加
省エネルギーのコツを紹介
生活費の節約法
ドライブ計画サポートスペシャル

附属図書館は中央館、医学部分館、34の部局図書室がある。総蔵書数は約293万冊(2008年4月現在)。年間利用者は中央館のみで延べ約70万9千人、貸出冊数は約13万3千冊(2007年度)である。[13]

名古屋大学博物館は、2000年4月[14]に日本の大学が設置する総合研究博物館としては5番目の設置[要出典]。東山キャンパスの古川記念館内に設置された。名古屋大学が所蔵する学術標本の収集・研究・保護・展示や異分野交流、大学の研究成果の展示、情報発信の目的を担っている[15]。

2009年06月13日

還元主義に陥っていることが端的に表れている

reductionismの語源にreduceやreducionがあり、元々reduceは「減らす」、reductionは「減らすこと」や「減少」という意味である[17]。概念や法則の多様性を減らしてしまうという意味で、reductionismという用語が用いられている[18]という。

自然科学の領域では、"最下位"とされるとされる階層は、原子から素粒子へと移りかわってきたものの、素粒子論が扱うような微視的世界と古典力学が扱うような巨視的な世界の間には、埋めることのできない理論的なギャップがあることは指摘されている[19]。巨視的階層の事物・事象を微視的階層に完全に還元することは、実際上は不可能である[20]。

還元主義に陥っていることが端的に表れている表現として「.....にすぎない」や「...にしかすぎない」というものがある[21][22][23]。 還元主義に関してしばしば問題となるのが、この「?にしかすぎない主義(nothing but ...ism)」 とでも呼んだほうがよいような極端な主張である[24]。

還元主義の歴史は古く、古代ギリシャまで遡ることもできる。(→#歴史)

否定的に語られる還元主義だが、近代科学の発展にそれなりに寄与した面もある。(→#成果)

近年では還元主義の難点を認識する人は増え、科学の領域でも「複雑系の科学」が生まれ、また「創発」など様々な概念を用いて、ものごとを理解しようという試みが続けられている

つきつめて考察すると、還元主義の問題は哲学の歴史と同じほどに古いともされ、古代ギリシャまで遡ることも可能だという。たとえば古代ギリシャの哲学者・自然学者らが、万物の根源(アルケー)について論じ、アルケーは水だ、土だ、などと論じたのもある意味での還元主義であるともいわれる。同じく古代ギリシャの原子論や四元素説なども、世界のすべてのものを「アトム」や「元素」に還元しようとするものであった[25]、とも言われる。

近代においては、還元主義を生むきっかけとなった考え方は、デカルトにより1637年に刊行された『方法序説』の第5部において提示された。デカルトは、世界を機械に譬え、世界は時計仕掛けのようであり、部品をひとつひとつ個別に研究した上で、最後に全体を大きな構図で見れば機械が理解できるように、世界も分かるだろう、という主旨のことを述べた。(ただし、デカルト自身は、正しく理解するためにはひとつたりとも要素を脱落させてはいけない、といった主旨のことも他のくだりで述べていることに注意する必要がある。)[26]

デカルトが「分解し、網羅的に調べ、後に統合する」という考え方であったのに、後に別の人々によってこの前半の「分解」ばかりが強調され、しかも一部の要素だけに言及してそれだけで事足れりとする者が現れ、還元主義となってゆくことになった[要出典]。

1961年にエルンスト・ネーゲルは還元主義を理論間の関係と定義した。この理論的還元のもっとも困難でもっとも独創的な部分は、二つの理論を「橋渡し」することである。例えば「温度」は「気体分子の運動エネルギー」と還元できる[27]。ネーゲルはこの種のより正確で実験的な法則を理論的に還元することが、科学的知識の進歩をもたらすと考えた[28]。しかしこの論理実証主義的な視点の還元主義はファイヤアーベントらによって論理実証主義とともに批判された[29]。ある理論の用語と別の理論の用語が全く同じ意味に用いられることはまれで、従ってある理論は他の理論に翻訳できない(通約不可能性)。しかしネーゲルの理論的還元の概念は、厳格なタイプはほとんど成り立たないことが明らかとなったが、科学哲学における還元主義の議論に影響を残した。

オッペンハイムとパトナムは科学理論の階層モデルに賛成した。彼らによればこの意味での還元主義は科学界に浸透している。例えば社会学と経済学は集団レベルの現象を心理学の用語で説明する。心理学は個人の行動は生理学で、生理学は筋肉の働きを神経化学の用語で説明する[30]。しかしこれは上位レベルの説明が不要になるという意味ではない。

ケネス・シャフナーはネーゲルの理論的還元主義を修正した。シャフナーは還元する理論が還元される理論を修正した物であるという考えを取り入れ、この改訂モデルがより良く自然科学の還元を捉えていると主張した。例えばシャフナーは遺伝学の分子理論が発展したことによって、優劣の法則のような古典遺伝学の理論も物理化学の法則から引き出せるようになったと主張した。これはつまり、改定された分子遺伝学が古典遺伝学よりも正確だということである。シャフナーはそれによって古典理論が取り除かれるとは主張しなかった。彼は理論的還元が成し遂げられないときでも還元の実り豊かさを強調した。例えば、生物の分子構造を発見する努力は、高次レベルにおいてもしばしば有益だった[28]。
化学物質過敏症
特定疾患
オーケストラ
バーベキュー
スキンケア
学童保育所
衛生
合気道
ホスピス
試写会
材料科学
システム工学
哺乳類
クリスマス
遺伝子疾患
食品添加物
ボクシング
履歴書
バレーボール
労働組合


ケネス・ウォーターズは修正された理論的還元主義に対する立場をレイヤーケーキ反還元主義と呼んだ。この反還元主義視点は多層的である。上位レベルでは遺伝現象を説明しようと試み、下位レベルでは遺伝物質の発現や複製を説明する。しかしウォーターズによれば、反還元主義が示す議論は実際の科学と一致しない。DNAと遺伝子は異なる概念なので分子遺伝学と古典遺伝学が結び付けられないという反還元主義の主張は正確ではない。レイヤーケーキの概念は同様に生物学の全分野に広げることができる。それぞれのレベルにはそれぞれのレベルをもっとも良く説明する理論がある[28]。多層性の概念は還元主義と反還元主義の双方に共有されている事に注意するのは重要である。しかし全ての還元主義者が多層性を受け入れるというわけではなく、いくらかの反還元主義者は全体論を提唱することに関心がある

2009年06月09日

薬剤師(やくざいし)とは、主に薬剤の取扱い

薬剤師(やくざいし)とは、主に薬剤の取扱い、薬事業務を司る専門職であり、化学者でもある。

東洋では、薬が医療の中心であったため、「薬師如来」としてあるように医師と薬剤師の区別はなかった。

一方で、西洋では1240年頃フリードリヒ2世によって医師が薬局を持つことを禁止した法令が交付され、これが医薬分業と薬剤師の起源とされている。これは処方と調剤を分離し、自己の暗殺を防止することが目的であったという説が有力である。これは現在においても、医師の過剰処方による患者の薬漬けや処方ミスの防止を目的に世界的に行われている。
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日本では1874年に制定した「医制」により「医師たる者は自ら薬をひさぐことを禁ず」とされ、政府がドイツ医学に倣い医薬分業を推進しようと薬局開業には「薬舗主」試験の合格を必要とし、これが日本の薬剤師の原形である。さらに1889年には「薬品営業並薬品取扱規則」(薬律)が制定され、「薬剤師」と呼ばれるようになった。

政府は医師による調剤を禁止して完全な医薬分業へ移行しようとした。しかし急激な移行は薬剤師の不足からうまくいかず、医師の自己調剤を認めざるを得なくなった。これにより日本では医師より薬剤を交付されることが当然のこととなり、国民は他の先進国では当たり前の医薬分業の意義を知らずにきた。院内処方を受けた方が利便性が高い上、自己負担が低いために過剰に薬剤を処方されても薬剤料に対する負担感が希薄で、一般用医薬品を購入するより安く済むことすらあることも医薬分業が浸透しなかった一因である。

しかし現在の健康保険制度のもとでは高齢化社会の到来により国民全体の医療費増大が懸念されるため、薬剤の過剰な処方を防ぐためにも処方せん料の増額、かかりつけ薬局制度の推進などで金銭面から医薬分業への誘導が進められ、現在の医薬分業率は50%を超えている

2009年04月25日

16世紀のサファヴィー朝

チャルディラーンの戦いの敗戦によりサファヴィー朝は多くの将兵を失い、宗教的情熱に支えられた軍事拡大の時代は終わりを迎えた。クズルバシュは占領地を支配領土として分配されて封建領主化し、それまでの極端派的なシーア派信条は、シーア派の当時の中心地だったシリアから迎えた穏健な十二イマーム派の教えに取って代わられた。十二イマーム派はやがてイラン社会に浸透し、サファヴィー朝は宗教的情熱に支えられた先鋭運動からテュルク系遊牧民の貴族とペルシア人の官僚(タージーク)に支えられた、セルジューク朝以来の伝統的なイランにおける遊牧イスラム王朝の典型に転化していった。
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チャルディラーンの戦いの後、政治への興味を失ったイスマーイールは、1524年失意の中で37歳の若さで亡くなった。第2代の君主(シャー)となったタフマースブはわずか10歳で、抑えを失ったクズルバシュは君主の後ろ盾の座を巡って有力部族同士で内紛を繰り返し、サファヴィー朝は王朝最初の危機を迎えた。成人したタフマースブはシャイバーン朝の侵攻を退け、1534年、部族を抑えることに成功し親政を開始した。タフマースブはペルシア系を重視するなど人事面でクズルバシュを抑え、対外的にはシャイバーン朝の侵攻を防ぎ、オスマン家のスレイマン1世の盛んな攻勢をバグダードなど西部辺境の割譲でしのぎ、南カフカスに進出してグルジア方面へ勢力を拡大した。

1576年、タフマースブが死ぬと後継者をめぐる争いが起こり、サファヴィー朝は再び危機を迎えた。実権はタフマースブの娘パリーハーンが掌握し、イスマーイール2世を毒殺するに至るが、彼女もやがて新王ムハンマドの妻アウリヤーに殺害され、さらにアウリヤーは敵対するクズルバシュによって殺された。これを見てオスマン帝国とシャイバーン朝が再び侵攻を開始し、サファヴィー朝発祥の地タブリーズを含むアゼルバイジャンと東部ホラーサーンの大部分が失われた。

2009年04月08日

ドラムンベース

ドラムンベース(Drum and Bass、Drum 'n Bass、Drum & Bass、DnB)は、基本的にはジャングルと同じように高速で複雑なリズムと低いベース音を特徴とした音楽。しかしその方向性や指向の違いを明確に表すためにイギリスの音楽プロデューサーLTJブケムが自らの音楽をこう命名した[要出典]ものが一般化した。実際、幻想的なパッド音などを用いたフューチャリズムに根ざし、幻想的でありながらも冷徹でもあるサウンドは、ジャングルとは似て非なる。

ジャングルとドラムンベースは、アメリカのヒップホップへのイギリスからの回答とされている。どちらもルーツはブレイクビーツでありながらも、ドラムンベースの特色として挙げられるのは、ジャングルよりもさらに複雑化したリズムであり、ヒップホップよりも速いBPMを用いることであろう。ドラムンベースの作曲方法は、サンプリングが基本であり、レコードやサンプリング音源から収録したサンプルをサンプラーで再構築し、シーケンサーを用いて演奏され、シンセサイザーでメロディなどが足されることが多い。メロディーラインやコード進行において、ボサノヴァの影響を受けているケースがある。ボサノヴァをドラムンベースにアレンジするのは、ほかのジャンルに比べると容易であるからである。

ダンス・シーンにおけるドラムンベースの特徴は、踊る人の気分や好みに応じて2つの方法を選ぶ(もしくは柔軟に組み合わせる)ことができることである。ドラムンベースは主に160以上のBPMを用いているが、一拍(四分音符)を単位としてそのBPM通りに感じることでより上昇感・疾走感を強める方法と、二拍を単位としそのBPMの半分としてとらえることでゆったりとした感覚や空間的広がりを強める方法がある。BPMの半分としてとらえることに特化したような曲もある。類似ジャンルとして取り上げられるジャングルにおいては、このような選択は行われず、つねに一拍を単位として疾走感の強いフィールで踊るものである。

ドラムンベースは疾走感や空間的広がりを短時間で展開する特徴があり、TV番組や自動車のCMに用いられるケースがある。

また、近年はドラムンベースのリズムを更に複雑化させたドリルンベースというジャンルも誕生している。ドリルンベースはSquarepusherが始めたとされ、Aphex Twinを始めとするコーンウォール一派が有名である。

2000年以降の動向 [編集]
1990年代末の2ステップの流行をきっかけにすっかり影が薄くなってしまったドラムンベースだが、21世紀に入り新しい展開を見せている。

一つ目はドラムンベース・アーティストの国際化。ブラジルからは DJ Marky & XRS が2002年に LK を大ヒットさせ、オーストラリアからは Pendulum が2003年以降、Vault、Another Planet、Slam と次々にクラバーを興奮の渦に巻き込む曲をリリース、アメリカからは DJ Hive が Keaton とのコラボレーションで Bring It On をヒットさせた。その他にもニュージーランドからは MC Tali や Concord Dawn、オーストリアからは D.Kay 、ドイツからはKabuki、そして日本からは Makoto がイギリスのドラムンベースシーンを賑わせている。

二つ目は 「リキッド・ファンク」 と呼ばれるソフトなドラムンベースが新たなジャンルとして確立したこと。これには、2004年に大ブレイクした Artificial Intelligence、Logistics、High Contrast といった新たな才能がリキッド・ファンクのスタイルを得意としていることが大きい。それまでは LTJ Bukem と Fabio しかこのスタイルのドラムンベースをDJとして選曲しなかったが、今ではあらゆるDJがかけるようになっている。これを受けて、V Recordings が姉妹レーベルとして Liquid V を、さらにはハードな選曲で知られる DJ Hype が Liq-weed Ganja をリキッド・ファンク専門のレコードレーベルとして立ち上げている。

三つ目は、もともとのドラムンベースの特徴である重低音ベースラインへのこだわりがより強調されるようになったこと。きっかけは、一般の家庭用スピーカーでは聞こえないほどの重低音ベースラインを得意とする Artificial Intelligence のブレイク。それ以降、ドラムンベースにおける低音域の下限がさらに下がり、クラブのスピーカーで聞かないと曲の良し悪しを味わえない度合いがさらに強まった。

2006年時点でのドラムンベースは、1990年代半ばのようなメインストリームからの脚光を浴びるレベルにはほど遠いとはいえ、2000年前後の停滞期に比べると、新しい才能(上記のアーティスト以外にも Baron, Chase and Status, Twisted Individual, Sub Focus)がどんどん生まれているし、ありとあらゆるスタイル(上記のリキッド・ファンクだけでなく、ダンスホールレゲエの要素を取り込んだもの、ラテン音楽のスタイルを取り込んだもの、ジャズのようなベースがフィーチャーしたもの、ソウルフルなボーカルが入っているもの、など)が受け入れられ、シーン全体として非常に健全な状態にある。

日本におけるドラムンベース [編集]
1996年より、Drum & Bass Sessionsが本場イギリスのドラムンベースDJを積極的に日本に招致してきた。2001年からは、渋谷にあるクラブWOMBで毎月第1土曜に06Sと題するパーティーが開催されるようになる。また、MakotoがHuman Elementsと題したパーティーを不定期に開催している。

チャーター ファック なめこ バルチス 七色の風 サイドスタ アップ ジプシー ビルマ 赤唐辛子 牧場の家 ストック スリング アーケイズ ヒエロ バースト 一本釣り ダウナー 夏の日 青春の谷間 ワラン バターピ 風神雷神 マイイレ バード トロイオ デコルテ バビロン マロン てっけん 番外野郎 ダイハー ナイロビ オマーカー フルライ テリー 赤オクラ アップ 検索マナ メータロィ ブータン カニ歩き ヒーロ ローゼ スキャン 一本勝負 ガーケキ わらづと フラッ マルトル

2009年03月24日

大型高速電車

1929年の開業当初より、狭軌鉄道の電車としては当時日本最大級の、強力な全鋼製電車を投入し、高速運転を実施した。

大出力モーターを装備した大型電車によって線形の良好な高規格新線で高速運転を行う、という米国のハイスピード・インターアーバン(高速都市間連絡電車)流のコンセプトは、1927年に開業した京阪電気鉄道傘下の新京阪鉄道(現・阪急京都本線)と共通のものである。米国のインターアーバンは自動車におされてすでに衰退期に入っていたが、シカゴ都心への直通のために、線形や車両規格の改善を図ったノースショアー線、サウスショアー線など、大都市近辺の路線を中心に路線や車両の高規格化を行って生き残りを図るケースがあり、これを見習ったものと考えられる。

主力車となった全長19mの大型電車モヨ100形・モタ300形等は、腰高で屋根が高く、窓も小さく、さながら装甲車両を思わせる物々しい外観を備えていた。実際にきわめて頑丈な構造で、電動車では47t - 48tもの超重量級に達したが、電動車1両で600kW(800馬力)の大出力は、それを補って余りあるものであった。この系統の電車群は1937年までに48両が製造されている。

その電装品は東洋電機製造製の国産品で、当時の電車用としては日本最強クラスの定格出力149.2kW(≒200馬力)を発揮する大出力モーターをはじめとして、きわめて高度な仕様であった。また自動空気ブレーキは、アメリカ・ウェスティングハウス・エアブレーキ社(Westinghouse Air Brake Co.:WH社、あるいはWABCOとも。現Wabtec社)の設計になる長大編成対応ブレーキを特に採用、当時の日本の電車が通常でも最長4両編成程度が限度だったところ、阪和では6両編成以上が可能であった。

これらのスペックは新京阪鉄道が開業時に投入した大型大出力電車P-6形(デイ100形)とほぼ共通で、経営・技術両面における京阪の影響の強さを推察できる。

高規格軌道・貨物列車対策 [編集]
当時としては未曾有の優等列車の超高速運転を実現するため、電車自体の性能強化以外にも可能な限りの方策が講じられていた。

この高速電車の性能を十分に活かすため、軌道設備も50kg/m相当の重軌条[5]を用いた当時の国鉄東海道本線に匹敵する破格の高水準とし、輸送密度の関係からか架線へのコンパウンドカテナリ[6]の導入こそ見送られたが、それでも通常構造ながら重い架線を用いたシンプルカテナリが採用され、100km/hオーバーでの高速運転への備えは万全であった。

また線内には貨物列車も運行されることになったが、電車列車のダイヤ組成の障害にならないよう、専用機関車として駿足な本線用電気機関車「ロコ1000形」を新規に開発した。そしてこの機関車が牽引する貨物列車は、後発の電車列車に追いつかれないために、軽量な短編成による高速運転を行って待避可能駅に逃げ込ませることを運用の前提としていた。

ノンストップ超特急 [編集]
和歌山までの開業当初は、阪和天王寺 - 阪和東和歌山間の61.2kmを「急行」が65分(各駅停車は80分)で結んだ。その後も路盤の安定に伴ってスピードアップをくり返し、1931年7月に天王寺 - 東和歌山間をノンストップ48分で走破する「特急」を運転開始した。

この特急は、1933年12月に阪和天王寺 - 阪和東和歌山間45分運転へスピードアップされ、種別を「超特急」に改める。この時の表定速度81.6km/hは、営業運転される定期列車としては1950年代以前の日本国内最高記録で、戦後に国鉄特急「こだま」号が東京 - 大阪間6時間40分運転(表定速度83.46km/h)を開始した1959年まで、実に26年間も破られない超絶的レコードとなった。

同時期、日本資本で経営されていた南満州鉄道の著名な特急列車「あじあ」号(1934年運転開始)は標準軌路線での運転で表定速度82.5km/hであったが、阪和超特急は狭軌線ながらそれにも匹敵する水準に達していた。

阪和間に限れば、超特急の消滅後はるか後年の1972年3月ダイヤ改正で設定された新快速が45分のタイ記録を達成するまで並ぶものはなかった[7]。そしてこの45分の壁は、1996年に特急「くろしお」等の120km/h運転による所要39分(表定速度94.3km/h)まで、63年間も破られなかったのである。

阪和電鉄の線路条件はおおむね直線で良好であったが、県境の山中渓駅付近には急勾配区間急曲線があり、振り子式車両のない当時としては、平坦区間で極限の高速運転が為されたことが容易に推察される。阪和間45分運転を行うことは電車にも大きな負担をかけ、駆動歯車は鋸歯状になるほど消耗したという。

メソッド ディスポ ワシン ナギイ 十字星 ケルセ ロービ はつい バナナの涙 鹿鳴つまみ 延暦 スーパー ハリケーン ノンブル タイム メラネシア メラルド スタンバイ ダイク スパン バックナ きゃべつ マスアミ ジャテラ ローフ レクイエム がいがん トリプシ リップ ハーピー ドラス ハゲイ トッカ リグナビ ハット チューリ ランド フラック ツンドラ せろりあ サフ たぬきじる め組最 エスキナ パスモ かたしな レジューム プラン オーバ ソビエト

2009年03月08日

オムライス

オムライスは、日本で生まれたコメ料理のひとつで、ケチャップで味付けしたチキンライス(またはバターライス)を卵焼きでオムレツのように包んだ料理であり、日本料理のうち洋食に分類される。オムライスという名称は和製語である。

フライパンに割りほぐした卵を入れて焼き、半熟になったところでチキンライスをのせる。卵を折りたたむように裏返してチキンライスを包みこみ、木の葉型に整形して皿に盛る。ケチャップをかけて供されることが多い。

「オムライス発祥の店」を自称する店はいくつかあるが、中でも有名であり有力とされるのは大阪心斎橋の「北極星」、東京銀座の「煉瓦亭」である。
キンキ ツバター 夜の足音 きこう シーメー ミーンズ シャーク ニュピ 新秋柿 チャー インス 線香花火 オーピ スチーマー トレッチ ふくいく リバティプ リトミック ターメ スピーカー ノーシャ パラフィン ルコウソウ パルサー ギニョー ホウセン フォー ウォー でらいと ケット おおわ ハック バンクス レンテン ナンバー ゆうな トロイ パルテ フェースオ ゼラチン シャク ステレオ アーム マウンド ミゼラブル マインド スイング じょうめ メタリック 浦島太郎

「煉瓦亭のオムライス」は白飯に卵や具が混ざっており、どちらかというとチャーハンやオムレツに近い。賄い食として出来たものが、客に供されるようになったもので、現在はこれを「元祖オムライス」という名前で提供。一般的なオムレツも別に提供している。 「北極星のオムライス」は、ケチャップライスを卵で包んだものであり、現在の主流のオムライスのルーツである。白飯とオムレツをいつも頼んでいた常連客を見て思いついたとされる。

どちらが元祖か判断が難しいが、煉瓦亭が元祖オムライスを世に送り出したのが明治34年、北極星がケチャップライスを使ったオムライスを作り出したのが大正15年であるという点、創業年代(煉瓦亭が明治28年、北極星が大正11年)などからか、雑誌や本など一般的には煉瓦亭が元祖とされることが多い。

映画「タンポポ」で有名になった作り方として、皿に盛ったチキンライスの上に中が半熟のプレーンオムレツをのせ、食卓でオムレツに切れ目を入れて全体を包み込むように開くという方法がある。 これは伊丹十三がアイディアを出し、東京日本橋にある洋食屋の老舗たいめいけんがつくりだしたもので、現在「タンポポオムライス(伊丹十三風)」という名前で供され、店の名物の一つである。

オムライスは近年では多くのメイド喫茶の定番メニューであり、「萌えオム」などと称して、店員(メイド)がオムライスの上にケチャップでメッセージや絵(アスキーアート)などを書いてくれるサービスが広く見られる。

チキンライスではなく白飯を玉子焼きで包み、カレーやデミグラスソース、ハヤシライスのソースなどをかけた料理は、オムライスとは区別され、「オムカレー」や「オムハヤシ」のように「オム○○○」と呼称されることが多い。チキンライスの代わりにソース焼きそばを卵で包んだものは「オムそば」と呼ばれる。このオムそばは関西地域のお好み焼き屋では定番メニューとなっている。

ラーメン店では、チャーハンを卵で包んだものを「オムチャーハン」として供している場合がある。オムチャーハンでは、焼いた面を裏、半熟の面を表と、通常とは表裏逆に包むことが多い。また、ケチャップなどは用いず、チャーシューのカットエンド部分を細切れにしたもの(チャンコマ)を乗せ、チャーシューの煮汁をかける。チリソースなどをかけて中華風にすることもある(甘酢あんかけにすると天津飯になってしまう)。有名どころとしては、東京都中央区の「チャイナクック龍華」、大阪市北区の「まんねん」など。

2009年02月20日

α……ジュデッカに装備されたT-LINKシステム

カルケリア・パルス・ティルゲム
α……ジュデッカに装備されたT-LINKシステムに似た装置。念動力者しか扱う事が出来ない事から、バルマー帝国版のT-LINKシステムとも言える。しかし、T-LINKシステムのようなブレーカーは装備されておらず、パイロットの念動力を限界以上に引き出す効果を持つ(ウラヌスシステムが常時稼動しているようなもの)。そのため、レビがジュデッカのパイロットになる以前に、数多くの犠牲者が出ている。
クロスゲート・パラダイム・システム
スピリッツ……ジュデッカに搭載。詳細は不明。
SH作戦……ユーゼス・ゴッツォが開発した時を超える装置、いわゆるタイムマシンである。新西暦155年と新西暦195年を往復するための機能しか持たない。新西暦155年以降地球に現れなくなった「光の巨人」の研究を続けるために開発し、新西暦195年に完成。デビルガンダムに極秘裏に組み込み、歴史の改変をもくろんだ。
α……別名、時空因果律変動装置。ユーゼスが野望を果たすために作り上げたもので、限定された空間の因果律を自在にコントロールする事で、その中で己の思うままの世界を構築する装置である(限定空間内の神に等しい存在になれる)。未来予知もその1つで、サイバスターのラプラス・デモン・コンピューターが狙われたのもこの装置を完成させるためであった。ジュデッカ(ユーゼス機)に未完成のまま搭載され、ジュデッカ(ユーゼス機)ごと破壊された。
量子波動エンジン
α……ジュデッカやズフィルード、アストラナガンの動力源となっているエンジン。また、『α』のヴァルシオーネRは試作型の量子波動エンジンが使われているという設定になっている。
ズフィルード・クリスタル
α / OG……ゼ・バルマリィ帝国で産出されるレアメタルで、自己進化、自己修復、自己増殖の3大理論で形成されている(初出であるスピリッツにおいては『機動武闘伝Gガンダム』のDG細胞が元となっている)。戦艦や機動兵器の構造材として使用される他、大型の結晶体はヘルモーズ級の中枢となって敵対勢力の戦力を分析し、それらの戦力を上回る兵器として進化させられる。ただし、稼動するためには膨大なエネルギーと戦力を解析する時間が必要なので、即応性に欠けるのが欠点である。『α外伝』のマシンセルは、ソフィア・ネートがこれを解析することで作り出された。
ウリヤ きくすい ルーン はに丸 フィッシン サディ ビアガー ジャック コスプリ ワニス 深海 トリオ パンパン ボート レーター しじゅう オフロード シーン ドラム ナミビア やちょ アカペラ セミプロ レガッタ ロヤジル トルソ フフホト ケモカイン リンリン メシマ ニュー ビュス プロテクト テーブル シャレー コリオン 四季の綱 トメント フォロー オマージュ ゲート パセリ フォーク ナーダム おきな シート しょうわ サック ティペット ジョンツ

量産機
『OGs』では一部の攻撃に足元などに特殊なサークルが出現する演出が追加された。

偵察量産機

メギロート(AGX-01バグス)
スーパーロボットスピリッツ……プロローグに登場。また、前日談の小説版では合体中のSRXを庇ったためとは言え、エルザムの乗るヒュッケバインMk-IIの腕を破壊したりしている。ウォーカーギャリア専用ステージでは巨大な赤いメギロートらしきものが確認されている。
α / 第3次α……エアロゲイターの偵察機。普通のPTレベルの戦闘力は持っており、通常、エアロゲイターはこの機体のみで対象を制圧する。また、機体中枢にズフィルードクリスタルが埋め込まれており、収集したデータはヘルモーズのズフィルードに転送される。なお、『α』に登場した時は自己修復機能が備わっていたが、『第3次α』に登場した時は失われていた。
OG……冥王星外宙域で、大群でヒリュウをピンチに追い込んだ張本人。地球圏ではゲシュペンストMk-II・Rテスト中に接触。しかし、ゲシュペンストに乗っていたのがエルザムだったため、1機は捕獲されEOTI機関に回された。残りは何も武器を持っていないはずの機体を相手にしたにもかかわらずすべて撃墜されている。コードネームの命名者はエルザムで、外見が虫のように見えることから「バグス」と呼ばれている。
OGOVA……回想シーンに登場。怪獣映画さながらに逃げ惑う人民らを光線で焼き払う。
メギロート・アフ
OG……メギロートの改良型。特殊武装が装備されている。
第3次α……メギロートの改良型。性能面が強化されている。
メギロート・ベン
第3次α……メギロートの改良型。頭部の形状が異なり、特殊武装が装備されている。
メギロート改
OG2……メギロートがインスペクターによって複製されたもの。バルマー帝国のオリジナルとは性能面だけでなく内部構造にも差があり、一部部品はインスペクター製のものになっている。

イルメヤ(AGX-02スパイダー)
OG……エアロゲイターの機動兵器。外観がクモに似ていることから、コードネームは「スパイダー」となっている。その外観通り、ネットによる移動の妨害を仕掛けてくる。
イルメヤ・アフ
OG……イルメヤの改良型。

ミシュレイ(AGX-03バード)
OG……エアロゲイターの機動兵器。飛行型。外観が鳥のように見えるので、コードネームは「バード」。
ミシュレイ・アフ
OG……ミシュレイの改良型。

ヨエラ
第3次α……メギロートから派生した無人偵察機。宇宙や空中のみならず、水中でも活動できるようになっており、地球のように海洋部分が多い惑星を侵略する際に使用される。もっとも、基本性能はメギロートと大差はない。
ヨエラ・アフ
第3次α……ヨエラの改良型。性能面が強化されている。ビルトファルケンに匹敵するスピードを誇る。が、やはり打たれ脆い。
ヨエラ・ベン
第3次α……ヨエラの攻撃力を強化したタイプで、広範囲の敵を弱体化させる兵装が施されている。が、所詮はヨエラなので大した効果は無い。

汎用量産機

ゼカリア(AGX-07ソルジャー)
α……メギロートでは対応出来ない文明が現れたときに使用される汎用人型機動兵器。バルマー帝国で長年にわたって使用され続けられている名機であり、『α』に登場したのは19代目の機種にあたる。コードネームは「ソルジャー」。
OG……基本的には『α』に登場したものと同じだが、近接戦用の武器が1つ減っており、無人機しか登場しない。

エスリム
第3次α……ゼカリアシリーズの最新鋭機。エスリムとは「20」という意味で、20番目に開発された事を記念して名付けられた。ゼカリア譲りの汎用性は健在である。
エスリム・アフ
第3次α……エスリムの改良機。主に小隊長クラスの与えられるカスタム機である。
エスリム・ローシュ
第3次α……小隊長用にカスタマイズされたエスリム。センサー関係が強化された以外に腕部にミサイルが増設されている。

砲撃量産機

ハバクク(AGX-05ファットマン)
α……長距離支援用の機動兵器。当初は幹部クラスが乗っていたが、中盤以降は一般機として登場している。ゼカリアとコンビを組む事を前提に開発されており、砲撃戦に特化した武装となっている。装甲はゼカリアより厚いものの接近戦に弱い。コードネームは「ファットマン」。
OG……『α』とほぼ同じだが、ミサイル発射口が頭部に移され、砲撃時には脚部が折り畳まれるようになっている。

ハーガイ
第3次α……ハバククシリーズの最新鋭機。ハバククよりも砲撃力や火力がアップしているが、あくまでも後方支援を重視とした機体であるため、接近戦に弱い欠点はそのままになっている。
ハーガイ・ヤッド
第3次α……ハバククシリーズの欠点だった接近戦能力の欠如を改良した機体。しかし、代償として肝心の砲撃力が弱くなってしまっており、砲撃機としてはやや本末転倒なものとなっている。

上級汎用量産機
エゼキエル(AGX-12ナイト)
α……コードネームは「ナイト」。ゼカリアの白兵戦能力とハバククの砲撃力を掛け合わせ、更に強化した超汎用機ともいうべき機体。スーパー系の攻撃力とリアル系の機動力を併せ持った性能でロンド・ベル隊を苦しめた。しかし、生産コストの高さが災いして少数しか製造されなかった。
OG……αとほぼ同じ。塗装は青。ただし『OGs』ではバリアを持っているため防御力がやや高い。緑色の一般機であるゼカリアに対して青色の指揮官機と言うことでエクセレンに「緑のとは違うのだよ」と言われた。
エゼキエル・アドム
OG……ゲーザ・ハガナー搭乗機。
エゼキエル・サゴル
OG……アタッド・シャムラン搭乗機。
エゼキエル・ラヴァン
OG……ガルイン・メハベル搭乗機。リュウセイ編39話ではヴィレッタがこの機体に乗っている。
武装
レーザー・ブレード
斬りかかったのち姿を消し、背後からもう一度斬る。
スパーク・トピードー
両腰からエネルギーを集中して光球を作り、撃ち出す。
オルガ・キャノン
取り出したキャノンを展開させ、強力なビームを放つ。エゼキエルの技の中で唯一カットインがある。
シュムエル
第3次α……エゼキエルの後継機。エゼキエルが射撃戦タイプだったのに対し、こちらは槍をメインとする接近戦用に変更された。しかし製造台数が少なく主に本星の守備部隊(紫)やアルマナお付きの女戦士ルリア専用機(黄土色)など一部の上級士官クラスにしか配備されていない。しかも生産性を重視させたためか、エゼキエルに比べて性能が低下、エスリムと大差ないものになってしまっている。
シュムエル・ベン
第3次α……シュムエルの改修機。3機1組での運用を前提としており、シュムエルの欠点だった遠距離砲撃戦の弱さを補完している。ただ、単機での性能はさほど向上していない。

ゴラー・ゴレム隊
α……シヴァー・ゴッツォ直属の特殊部隊。隊員は全てバルシェムシリーズと呼ばれる人造人間のみで構成されており、機体も独自のものを使用している。中盤までハザルが司令官だったが、失敗が重なったためにエイスに取って代わられた。シヴァーがルアフに反乱を起こすための戦力として整備してきたもので、地球の戦力を取り込もうとしたのもその一環であった。しかし、度重なる悪行に激怒したαナンバーズにバルマー本星で壊滅させられてしまった。
ヴァルク・バアル
第3次α……バルマー戦役中(スーパーロボット大戦α)に得た地球の機動兵器(実はサイバスターなのだが、第3次αには登場しなかったため裏設定的な扱いになっている)のデータを基に開発された機体。パイロットはキャリコ・マクレディ。隠密行動も想定されており、高性能のジャミング機能を持つ。地球圏内での行動が前提として設計されているため、地球の技術を流用している部分がある。ヴァルク・イシャーと同系機だが、カラーリングと手持ちのブレード・ホイール・バスターの形状が違う。なおバアルとはヘブライ語で「夫」のこと。
ヴァルク・イシャー
第3次α……バルマー戦役中(スーパーロボット大戦α)に得た地球の機動兵器(ヴァルク・バアル同様、サイバスター)のデータを基に開発された機体。パイロットはスペクトラ・マクレディ。ヴァルク・バアルと同系機だが、カラーリングと手持ちのブレード・ホイール・バスターの形状が違う。なおイシャーとはヘブライ語で「妻」のこと。
武装
ショット・シザー
ブレード・ホイール・バスター
手に持っている武器からビームを撃ち出す。
必殺技
ヤラー・イリュージョン
ジャミングを交えた高速移動を繰り返しつつミサイルを放ち、最後に胸部から2連続でビームを放つ。
ラカッド・ヴェ・ヤラー
高速で間合いを詰め、ブレード・ホイール・バスターで斬り刻んだのち背後に回りこみ、ビームを撃ち込んでトドメ。

ヴァルク・ベン
第3次α……ヴァルク・バアル、ヴァルク・イシャーの簡易量産型。バルシェム隊の人造人間が搭乗する。上記の機体に比べ機体性能は下がっているが、高性能の機体である。記憶を失う以前のクォヴレーも、バルシェム隊所属の兵士としてこの機体に搭乗し、ゲートの調査を行っていったが、ゲートから転移してきたアストラナガンと融合し、ベルグバウへと変異した。なおベンとはヘブライ語で「兄弟」のこと。
武装
オウル・ブレード
カティフ・キャノン
両肩の砲塔からエネルギー弾を放つ。
ツイン・ホイール・バスター
手持ちの武器。ワイヤーつきのホイールを伸ばして一撃を加え、その後ワイヤーを引き戻す勢いで間合いを詰め、一回斬った後バスターを撃ち込む。

戦艦
ヘルモーズ
新……バルマー帝国の超大型母艦。コロニーを一撃で破壊するほどの主砲を持つ(その様子はデモで確認出来る)。宇宙編最終ステージでは背景になるほど巨大な艦。背景となっても主砲の射線上にユニットを置くと主砲を発射してくる。また、ヘルモーズを最終ボスとする案もあったらしい。
α……コードネームは「グリーン・フラワー」。ゼ・バルマリィ帝国辺境銀河方面観察軍第7艦隊の旗艦で、全長20kmにも及ぶ巨大戦艦である。船体はズフィールドクリスタルで作られており、自己修復機能を持つ。攻撃力も高く、艦首に装備された主砲レギオン・バスターは一撃で地球クラスの惑星を粉砕する事が可能である。艦自体が一種の移民船にもなっており、内部には街や工場などが複数ある。雷王星宙域の会戦でロンド・ベル隊に撃沈された。
ヘルモーズ・エハッド
第3次α……ゼ・バルマリィ帝国第1艦隊の旗艦。エペソ・ジュデッカ・ゴッツォが艦長を務める。火星での戦いで一度、消滅。バルマー星付近フォレース宙域でのゲート防衛戦で撃沈された。緑と白のカラーリングが特徴。
ヘルモーズ・ハミシャー
第3次α……ゼ・バルマリィ帝国第4艦隊の旗艦。サルデス・ジュデッカ・ゴッツォが艦長を務める。バルマー星が崩壊する時に民衆を乗せて脱出した。赤と白のカラーリングが特徴。
ヘルモーズ・シシャー
第3次α……ゼ・バルマリィ帝国第5艦隊の旗艦。ヒラデルヒア・ジュデッカ・ゴッツォが艦長を務める。バルマー星が崩壊する時に民衆を乗せて脱出した。青と白のカラーリングが特徴。
フーレ
新……ヘルモーズに搭載されている戦艦。グラドス星がバルマー帝国の属国となっているため、よくグラドス兵が運用している。
OG……エアロゲイターの戦艦。外観が花のように見えることから地球側のコードネームは「フラワー」。南極でカールら地球側との会談の際に出現したが、シュウのグランゾンの攻撃で撤退している。ただし南極で使われた機体は、ゲストによる鹵獲あるいはコピー品の様である。また、北京市街での戦闘時にも出現。支援に現れたエルザムの指揮するクロガネのドリルを喰らっている。
第3次α……ゼ・バルマリィ帝国の主力戦艦。全長5000mにもなる大型戦艦で、高い戦闘力を持つ。自己修復機能も備えている事から、ヘルモーズ同様ズフィルードクリスタルで作られていると思われる。

ネビーイーム
ネビーイーム
スーパーロボットスピリッツ……L5宙域に出現した巨大要塞。地球圏各地にメギロートを送り込んだ。連邦軍は「オペレーションSRW」においてSRXによる強襲を行いネビーイームを破壊したが、中枢であるジュデッカの出現により作戦自体は失敗に終わっている。
OG/OG2……L5宙域に出現したエアロゲイターの自動惑星。外観が白い星そのものに見えるので、「ホワイトスター」というコードネームになっている。宇宙を漂流し、知的生命体の暮らす星を見つけるとその星の武器や生物を捕獲・調整し、ゼ・バルマリィ帝国の兵器とする役割を持っていた。L5戦役最終局面で中枢を落とされ、戦後は連邦軍が駐留地点として利用していた。しかし、インスペクターの急襲にあえなく陥落。インスペクターの兵器プラントとして利用されたが、今度はアインストの攻撃によりアインストの手に堕ちる。最後にはノイ・レジセイアと融合し、シュテルン・レジセイアとなるもハガネ・ヒリュウ隊により撃破される。
OGS……冒頭にユーゼスらしき人物が登場している事から、元々は『第3次α』のようにゼ・バルマリィ帝国本星をガードする機動要塞の1つだったと思われる。
第3次α……ゼ・バルマリィ帝国本星をガードするために建造された機動要塞で、全部で12基ある。うち1基がシヴァー・ゴッツォの独断でクロスゲートがあるフォレース宙域に移動させられ、αナンバーズの前に立ち塞がった。強力な要塞砲で苦しめるものの中枢部に集中攻撃を受けてあっさり破壊された。バルマー本星宙域では複数のネビーイームが連携して攻撃してきたが、戦闘システムを連動させていたのが災いし、システムの中枢が破壊されると全てのネビーイームが機能を停止した。

ズフィルード
敵の能力を複写する「自己進化・分子構造記憶」機能を持つゼ・バルマリィ帝国軍最強の機動兵器。形状が一定に定まっておらず、様々なデータを得る事で形状が大きく変わる。コードネームは「ナイトメア・クリスタル」。

ズフィルード
α……ゼ・バルマリィ帝国辺境銀河方面観察軍第7艦隊の切り札として登場した機動兵器。通常はズフィルード・クリスタルと呼ばれる状態でヘルモーズの中枢コアとして機能しており、敵対勢力の分析・解析を行っている。ズフィルード・クリスタルは自己進化・自己修復・自己増殖という3大理論で形成されたレアメタルであり、長年に渡ってバルマー帝国の戦力を支えてきた。最大の特徴は敵対勢力が持つ全ての兵器を解析した上で、それらの兵器を上回る性能を持った兵器へと進化する事である。そのため、形状はその時々によって変化し、1つとして同じ形状のズフィルードは存在しない。しかし、進化には膨大なエネルギーと時間を必要とするため、兵器としては極めて効率が悪い。地球へ侵攻してきた時は地球側(主にロンド・ベル隊)の主力兵器が人型機動兵器だったので、ズフィルードも人型の形状を取った。同様にゼントラーディ人との戦闘では戦艦の形状を取っていた。全てにおいてロンド・ベル隊の兵器の性能を上回った筈だが、乗り込む人間の能力までは読み取る事が出来ず、集中攻撃を受けて敗北した。その後、ユーゼスの手で能力を暴走させられ、複数のズフィルードがジュデッカと共に出現したが、それでも勝利を収められなかった。
ズフィルード・エヴェッド
第3次α……基本的にはバルマー戦役時に現れたものと同じ機体である。ただし、対宇宙怪獣用に広領域殲滅兵器として進化しており、形状は顔の形以外は全く異なる。大きさ自体もヘルモーズ並の巨大さを誇り、もはや機動兵器というよりも機動要塞と呼ぶべきである。攻撃力や破壊力はバルマー戦役の際に戦った人型よりも格段に上がっており、防御機能も優れているが、その巨体故に機動力や運動性は大きな犠牲になっている。
火星での戦いで第1艦隊のズフィルードは一度破壊されたが、バルマー帝国国境での戦闘で再び出現。しかし、これもαナンバーズに破壊された。更にバルマー本星宙域やバルマー本星内での戦闘では2機同時に出現するものの、αナンバーズの勢いを止める事は出来なかった。
この形状で登場したのは、第1艦隊、第5艦隊、第6艦隊のズフィルードである。また、『α』のストーリーが始まる2年前に起こったゼントラーディとの戦いの際にもこの形状であったらしい。

その他(専用機など)

アンティノラ
α……第7艦隊副指令ユーゼスが製作したジュデッカの試作機。そのため、本機は第7艦隊にしか配備されていない。試作機とはいえ、機体はズフィルードクリスタルで作られており、かなりの重装備である。少数が量産されており、主に自立回路で動くか、上級指揮官クラスの人間が搭乗している。また、ユーゼスの搭乗する試作1号機には、転移システムと量子波動エンジンを搭載している。コードネームは「モノ・レッグ」。

2009年02月04日

世良田(せらた、せらだ)氏

世良田(せらた、せらだ)氏は、鎌倉時代に清和源氏の新田氏から分立した上野国新田郡(新田荘)世良田郷(現在の群馬県太田市世良田町、旧新田郡尾島町世良田)の豪族。

新田義重の四男・世良田四郎義季(新田義兼の同母弟)が、父義重から世良田郷を譲られ、その地頭になることによって実質的に成立した。義季は得川郷(現在の太田市徳川町)を庶長子の四郎太郎頼有に与え、世良田郷は嫡子頼氏に継承させた。頼氏は世良田弥四郎を称し、世良田氏の名を興した。義季は禅寺長楽寺を建立したという。

義季・頼氏父子は世良田近辺の所領の開発を進め、世良田氏は新田一族中の有力者として台頭する。本宗家の新田政義が幕府の禁忌に触れて新田氏の惣領職を奪われると、岩松氏とともに世良田頼氏が惣領職を分担するに至った。頼氏は幕府に重きをなしたが、1272年失脚して佐渡に流されてしまった。

長楽寺も北条得宗家に奪われて、皮肉にもその支援によって関東十刹(鎌倉十刹)に数えられる繁栄を遂げる事になる(北条氏滅亡後に新田一族が奪還する)。

頼氏のあとは嫡男の教氏、その子・家時と継承された。

鎌倉時代末の争乱が始まると、家時の子弥次郎満義は惣領新田義貞に従って鎌倉攻めに参戦し、北条高時以下の北条氏を滅ぼした。

その後の満義は南北朝時代の争乱下においても、一族の江田行義(教氏の弟の有氏の子[1])とともに義貞に従い続き、南朝方として、終始活躍した。

その一方、満義の一族世良田義政[2]は、下野国を拠点とした。彼は一族の義周[3]とともに足利氏(尊氏など)を中心とした北朝方として、功績を残し上総国守護になっている。その末裔は、四職の山名氏の因幡国・伯耆国の守護に随行したという。因幡徳川氏(後に森本氏)と改め、家老の徳川(森本)将監(橋本家)などが出たという[4]。

南朝方として
『浪合記』(天野信景の著書とされる)によると、満義の嫡子の政義は信濃国で南朝方を率いた宗良親王(後醍醐天皇の皇子)に仕えて世良田郷を離れる。しかし至徳2年(1385年)に、庶長子の親季とともに信濃国浪合村(長野県下伊那郡阿智村)で戦死してしまったという(浪合の合戦)。政義の二男の万徳丸(政親)も戦に参加していたが、この時は難を逃れた。その後、永享8年(1436年)になって三河国松平郷に隠れ住んでいたのを発見され、捕らえれられたのち出家し四国へ渡った。嘉吉の変後、上野国万徳寺で修行していたが、文正元年(1466年)10月に没したという。

応永年間に、政義の嫡子の政親は親王の孫ら信濃の南朝方の残党とともに三河国松平郷に逃れ、そこで没したともいう[要出典]。

政親には男子がなく、世良田郷領主の世良田氏嫡流はここに断絶した(政義には庶子の政満(義秋[5])もおり、ともに浪合の合戦[6]で散ったという)。

清水昇『消された一族』によれば、政親の娘の子・脇屋義則(新田義宗を父とする)が世良田の名跡を継いだという。義則の討死ののち、子・新田祐義は下野国真船村に住み、子孫は武田氏などに仕えたが、徳川家康の台頭に伴い真船氏を称した。真船氏の一部は戦国時代に陸奥国会津郡に移って瀬良田氏を称したとされる。

支族の江田氏は、新田宗家の命により丹波に派遣されていたが、細川氏のちには波多野氏に従うようになり丹波綾部の豪族として織豊時代まで命脈を伝えた。

なお、浪合の合戦には、一族の有親(系譜関係は諸説あり)も加わっていたという(『鎌倉大草紙』)。この有親が松平氏の祖とされる(『徳川実紀』)。

世良田氏と松平氏との関連の謎
三河国の戦国大名松平氏は、松平清康のとき世良田氏の後裔と称するようになった。

松平氏の興った三河国加茂郡には、元来南朝方の残党が逃れてきたことに関する伝承が多く残されていたようで、松平氏の家臣大久保氏(宇津宮氏)を始めとして南朝方武将の末裔を称する武士は数多い。

真相は不明だが、清康はその事項から自身を源氏の名門に繋げるために、三河松平郷で没した政親(政義の子、親季の弟)の存在に着目したという。さらに政親の祖先である世良田頼氏は三河守であり、三河の支配者の先祖として、着眼した清康は自身の安祥松平家の世襲の通称「次郎三郎」を用い、「世良田次郎三郎清康」と称したという。

清康の孫の松平家康は初め藤原氏の子孫と称していたが、三河国統一を完成させると再び祖父の世良田氏=新田源氏末裔の主張を行うようになった。1566年に朝廷に働きかけて首尾よく得川義季の末裔であるとの勅許を受けるが、源姓ではなく藤原姓の徳川氏としてしか認められることが出来なかったので、以後も藤原姓を名乗ったというが真偽の程は不明。

しかし、豊臣秀吉政権の傘下に入ったころから、再び新田源氏の末裔であるとの主張を繰り返し始め、その頃安房の里見氏(新田一族)に送った書状では、徳川氏と里見氏が新田一族の同族関係にあることを主張している。家康は1590年に関東へ移封された前後には徳川氏を藤原姓ではなく源姓の家として公認させることに成功していたようで、新田一族に繋がる岩松氏の末裔を召し出して新田氏の系譜を尋ねている事項が記録にある。

この過程で家康が整理させた徳川氏の系譜では、松平氏の祖は、親季の子で政親の兄の親季の遺児とする有親(長阿弥)ということにされている。

その伝承によると、親季の戦死後、その子の有親も南朝方として戦った(信濃で戦死したとも言う[7])。有親の子世良田親氏は北朝方の追捕を逃れて時宗の僧となって徳阿弥と称し、流浪した。やがて三河国に流れつき、加茂郡松平郷の領主 松平信重(左衛門少尉)の娘婿になり、還俗して松平氏の名跡を継ぎ松平親氏(松平太郎左衛門親氏)と名乗ったとする。
ポップ ルーペ チョーカー シスコ ヤマブキ スカル タイタ イタドリ スター リーザー ケプラー プリンス バトントワラ ビーエス ドリー おおばこ 夢の跡 朧月夜 キック セルフタ 金時 モナーキー シクリカル ショック アウフへ ペンター 旅の夜風 マンド サンチュ ナンバ ショタコ ハンド レイン 都の桜 ハマソウ メッセ ノリウツ しゅひょう ニューメ パンチ ゲーマー ムハンマド ニエオ プレー ビキサン タント ヒッポグ タキシ 秋霖 トラスト

また、世良田清康に限らず、七代将軍家継も幼少時世良田を称する。徳川姓の使用が、将軍家および御三家だけに非常に厳格に限られていたため、甲府家や館林家では、世良田がもちいられていたという説もある[要出典]。後、本家継承のため甲府家も館林家も廃絶したため、子孫はいない。数世代のちに設立された御三卿は、将軍家家中とされて、独立した家ではないため、徳川を称した。

2009年01月21日

全ての太極拳の源流であり

陳式太極拳
全ての太極拳の源流であり(但し陳式太極拳を全ての太極拳の源流とする説には批判もある)、河南省陳家溝の陳一族を中心に伝承されてきた。動作は剛柔相済、快慢兼備を特徴とし、太極拳に特徴的な柔軟さや緩やかな動きだけではなく、震脚(全身を沈め、強く脚を踏みしめる動作)、豪快な発勁を伴い、纏絲勁によって全身の勁を統一的に運用する。一般的な太極拳のイメージからすると、特に二路(砲捶)は「剛」の印象を与える風格であるが、高齢の達人の拳風は内勁重視のため、むしろ楊式や和式を連想させる緩やかなものである。また陳氏の太極拳には大別すると平円重視の大架式と立円重視の小架式の2つのスタイルがあり、大架式からは新架式が派生し、新架式からは趙堡架式が派生した。20世紀に入り、陳発科が北平(北京)で大架系統を教授してから一般に広まったといわれる。
楊式太極拳
陳家溝で太極拳を学んだ楊露禅が北平(北京)に出向き伝えた。露禅は実戦高手として楊無敵と讃えられ、その評判故に請われて多くの者に教授した。その拳は非常に柔らかな動きで、「綿拳」「化拳」と称されたと伝えられる。その後も露禅の子、孫と三代にわたって楊式は改変され、現在普及しているのは露禅の孫楊澄甫が伝えた大架式の套路である。楊式にも動作に緩急を伴う小架式及び二路砲捶が存在するが、最も普及した大架式の動作はのびのびとして柔らかく、発勁法は緩やかな暗勁(激しい打撃動作を行わない発勁の仕方)であるため、最も広く行われている。
楊式太極拳の理論書としては、楊班侯伝の「太極拳九訣」や楊澄甫伝の「太極拳老譜三十二解」がある。
後述の制定拳は楊式をベースにして構成されている。
呉式太極拳
楊露禅の子楊班侯に師事した呉全佑(満州族出身)とその子呉鑑泉によって確立した。呉鑑泉が上海精武体育会で教授したため、香港を中心として中国国内はもとより、とりわけ華僑の間に普及した。動作は緊密でまとまっており(小架式)、楊式初期の風格を残していると言われる。満州族のシュアイジャオ(投げ技を中心とする武術)に由来するといわれる前傾姿勢が特徴的である。伝承系統によって歩距や架式の高さに比較的違いが大きい。
武式太極拳
楊露禅の支援者武禹襄が露禅に学んだ後、河南趙堡鎮の陳清萍に学び、さらに工夫を加えて成立した。武禹襄は太極拳の理論化に貢献した。近代の「太極拳」の名は、武禹襄の兄秋瀛が再発見した王宗岳の「太極拳譜」に由来するといわれる。武式は太極拳の精華と評され、厳密な身体の運用と実戦的側面を伝える門派である。しかし、武禹襄が親族にしか伝拳せず、その後も近年まで保守的であったため、伝承者はきわめて少ない。著名な伝人郝為真の姓をとって「郝式」と呼ばれることもある。
孫式太極拳
高名な武術家孫禄堂が、郭雲深に学んだ形意拳の歩法、程廷華に学んだ八卦掌の身法、郝為真(武式)に学んだ太極拳の手法を統合して完成させた、孫家拳を代表する套路である。開合によって動作を連関し、快速な活歩によって転換するため、一名「開合活歩太極拳」と称される。

分派
和式太極拳
従来陳氏の一派(趙堡架式)と見なされてきたが、近年、代表的伝統太極拳として認定された。初代和兆元は陳清萍(陳式)に学んだが、発勁は暗勁が主で、独自の風格を備える。二路套路を持たない点も陳式と異なる。
他にも、主に陳清萍に学んだ李景炎が創始した忽雷架式は、綿密な段階的教授法と独特の発勁技術が、他派にない特徴として注目されている。
鄭子太極拳

楊式太極拳の第三代伝人の楊澄甫の弟子である鄭曼青が楊式太極拳を整理し三十七式にまとめたもの。楊式からこの三十七式が認められなかったこと、さらに楊式よりもさらに柔らかくこじんまりとした動きであることなどから別式とされている。套路(型)は37式、武器は剣(楊式太極剣)、推手、さらに台湾系の系譜ではこれに内功(気功)が加わるだけの最小主義の太極拳で簡易太極拳と言われることもある。
鄭曼青は五絶老人とも呼ばれ「詩、書、画、医、武」に優れ文人、医者としても名高く台湾に移住後、さらにニューヨークに移り、漢方医として活躍する傍らで太極拳を教えた。中国人、欧米人の区別なく太極拳を伝授したため結果として欧米に最初に太極拳を広めることになり他の太極拳が欧米で教えられるようになるまでは欧米で太極拳といえば鄭曼青の三十七式であった。
鄭子太極拳とは「鄭先生の太極拳」といった意味だが、これは鄭自身が一派をなしたとは考えなかったことと、五絶老人に対する敬意としてこのように呼称される。
太極拳の健康効果は以前より知られていたが、必ずしも万人が習得することのできる平易なものではなかった。中国政府は第2次世界大戦後、伝統拳の健康増進効果はそのままに、誰にでも学ぶことのできる新しい太極拳を意図し、国家体育運動委員会が著名な武術家に命じて套路を編纂、普及に努めた。これを伝統拳に対して「制定拳」と呼ぶ。制定拳は楊式太極拳大架式をベースにして重複動作を避け、難度の高い動作を簡略化しつつ、太極拳のエッセンスをまとめたものである。套路毎に動作の数が違うため、各套路は「二十四式」のように動作の数で呼ばれることが多い。

簡化太極拳(二十四式太極拳)
簡化太極拳は最初の制定拳として1956年に発表された。楊式太極拳の主要な二十四の動作から構成されており、そのため「二十四式太極拳」とも呼ばれる。外国でもジムなどでヨーガなどと一緒に教えられることが多く、全世界で練習され、健康運動としての太極拳の普及に大きく貢献している。日本の太極拳教室で健康のために教えているものはほとんどの場合、この簡化太極拳である。楊式を基礎としているので本格的な楊式の入門用の套路として教えられることもある。
ただし手を振る動作の覚えやすさに重点が置かれ、基本動作の十三勢の反復をおろそかにしているなど健康面でも武術面でも太極拳の本質を伝えにくいなどの理由で伝統的な太極拳家の間では不評である。二十四式太極拳の元になった楊式においては変わりに鄭曼青の三十七式を入門用の方として教えるところもある。また普及に伴って集体(グループ)表演や競技会が盛んに催されるようになり、簡化太極拳は結果的に、表演武術としての側面を太極拳に持たせることになった。太極拳とは健康運動、ひいては武術にあらずとの認識を広める一因となったとの批判が伝統拳の間に多い。
八十八式太極拳
二十四式太極拳に続いて、1957年に発表された。二十四式に適用した原理に基づいて楊式太極拳の動作を改めたもので、二十四式と同質性があり、二十四式の既習者には学びやすい套路である。拳式の順序は伝統的な楊式太極拳大架式に準じているが、動作原理が違うことや、李玉琳伝の楊式太極拳に基づいていることにより、一般に行われている楊式太極拳と動作に少なからず差異がある。
四十八式太極拳
いしか ネーブル すたーふる リンホ オペミ 人気ツル タルク ガバナンス 二人のロ フォレ ギロチン トンコツ なか ダンス エベント タクティ タシケント バトンタ ポンプ グルーピー ツァイ ティッ フラット オーソ カルソ ラングド テニス ルチンスク プレーバコ とんだばや ピラカンサ パートタイ コネク ディア ミニチュア ラミア ルクソール ドアロック キンモ ビッグベン のあや フロイト リリー ビッグ ケワキ ハープ レンブ ビーエス ノッチ ロック

二十四式太極拳の上級套路として、1979年に発表された。二十四式、八十八式とは異なって、楊式太極拳をベースにしながらも、陳式、呉式、孫式の動作を取り入れた、初めての総合太極拳である。二十四式より難度は高く、八十八式より表演時間は短く、動作が左右対称に整えられた総合套路であったため、一般に普及しただけでなく、競技会においても頻繁に行われる套路となった。
総合太極拳(四十二式太極拳)
80年代後半、太極拳の国際大会が催されるようになると、競技会用の套路が要望されるようになった。競技者自らが構成した「自選套路」では、優劣を判定することが難しいことが生じるからである。そこで陳氏、楊式、呉式、孫式の競賽套路、総合套路、遅れて武式の競賽套路が発表された。日本では「競賽」という語に馴染みがないため、競賽套路は「規定套路」あるいは「競技套路」などと呼ばれるのが普通である。こうして発表された総合套路が「総合太極拳」であり、動作の数から「四十二式太極拳」とも言われる。
総合太極拳は、四十八式と同様に楊式太極拳をベースにして、陳氏、呉式、孫式の動作を組み合わせて創られた套路である。四十八式よりも各門派の特徴的動作を明確に演ずることが出来、内外の競技会種目として採用されている。見栄えのする套路なので、中国では一般にも人気が高い。その一方で、競技性を念頭に置いて伝統拳の動作をつなぎ合わせたので、「連続性が悪くぎごちないところがある」「健康効果に比して身体への負担が大きい」などの批判もある。 
太極剣(三十二式太極剣、総合太極剣)
制定拳を行う者が器械入門として行えるよう、楊式太極剣をもとに編纂された套路が「三十二式太極剣」である。さらに競技用套路として、陳式、楊式、呉式の動作を組み合わせた「四十二式太極剣」(総合太極剣)があり、総合太極拳と並んで競技会で盛んに行われている。

制定拳は、「太極拳の(世界的)普及」(伝統文化としての太極拳)と「国民の健康増進」(保健手段としての太極拳)が当初の目的であったが、現在は「運動競技としての太極拳」の占める比重が大きくなっている。しかし、制定拳の武術的意味が再考されたり、健康効果を考慮した総合太極拳(三十二式太極拳)が編まれるなど新たな動きも見られ、今後の動向にも注目していく必要がある。